保養地や避暑地の開発は古くからあるが、地域振興戦略としてのリゾート開発がブームを呼ぶようになったのは、一九八〇年代の半ばになってからである。
そして、「リゾート法」の名前で知られる六省庁共同提案の「総合保養地域整備法」が一九八七年に可決成立するに至って、リゾート・ブームはその頂点に達した。
人生八〇年時代にふさわしい、ゆとりのある国民生活の実現をはかるために、民間活力を活用して広域的な総合保養地域を整備し、あわせて全国各地のリュウイキケンり地域振興に役立てようという狙いである。
一九九〇年当時、一〇〇ヘクタール以上または一〇〇億円以上の大規模リソート.フロジェクトは約四五〇件存在し、それ以外のものも含めた総数約八〇〇件に及ぶリゾート開発の総面積は国土面積の三分の一にも及んだという。
それらのすべてではないにしろ、リゾート法の承認を受けた各地の大規模リゾート開発は、いわゆる「バブルの崩壊」により一挙に逆風にさらされることになり、計画の見直しと仕切り直しを余儀なくされたものも多い。
また、ほとんどの府県で第三セクタi方式がとりいれられていたため、その功罪があらためて問われることになった。河成鎮之氏によると、離島における経済の振興ならびに、島離島振興民の生活の安定および福祉の向上を図ることをいう。
離島の、本土から隔絶しているという地理的特殊性に鑑み、それによる後進性を除去するため、昭和二八年に離島振興法が制定された。